国立高校のクラス替え問題についての記事を読みました。
この問題は「伝統的な学校行事」と密接に関わっています。コメントで散見されるような「いじめ」を考慮しての改革ではないと思います。
前提として、公立の小中学校のクラス替えとは違うということもポイントだと思います
- 国立高校のクラス替え問題とは?
- 閉塞感を感じる側の生徒でした
- クラス替えをしたくない側の意見は強者の意見
- 国立高校の1/8しか恩恵受けられないのもデメリット
- 卒業生の署名は「当たり」を引いた側の意見
- 【提案】クラス替えをしなくて済む方法
- クラス替えが当たり前の環境で育ってきた
- おわりに
国立高校のクラス替え問題とは?
上の記事によると宮田校長は
伝統重視の空気が強すぎる点に懸念を示しており、とくにクラス替えがないことで人間関係に悩む生徒がいることに心を痛めていた。
とあります。
そもそも伝統ってなに?
ってことなのですが、「クラス替えをしないこと」ではありません。
各クラスでの活動を行ってきた伝統的な「学校行事」のことです。
いままで国立高校でクラス替えをしてこなかった理由は、ほぼ文化祭などの学校行事のためだと言えます。まとめて「国高祭」というらしいです。
クラス替えを行うということは、伝統的に行ってきた学校行事の見直しを行うということの裏返しです。
いろんなコメントを読んでいると、「いじめ」への配慮として捉えられているようですが、そうではないと思います。
国立高校の関係者ではないですが、ぼくも同じような学校にいたのでその体験をもとに自分の意見を書いています。学校行事に興味が薄い人間にとってはまぁまぁ苦痛な時間を過ごすことになるんですよね。
たぶん、まわりにもそんなに興味がない生徒もいたとは思うんですが、進学校だと反発することもなくやり過ごしてしまうんですよね。
当時のぼくは、学校行事に興味なさそうな人を探し出そうとしてみましたが、10人くらいに聞いてみて期待した答えが返ってきませんでした。
ほんとうにみんな学校行事好きだったのかなぁ。。。というのは今でも気にはなります。
バレーボール部にひとりだけバレエ部員の人が混ざっているみたいな、そんな感じになったのを思い出してきましたわw
実際にやるときには不満もないように振る舞いはしますが、正直なところ「価値観があわねーな~」とは心の奥底で思っていたわけです。
閉塞感を感じる側の生徒でした
事前に諮らず発表したことについては「閉塞(へいそく)感を感じる生徒に周りも気づいていなかった。
とか
ある男子生徒(16)は「(クラス替えで)文化祭のクオリティが下がってしまうかもしれないと思っていた」。別の生徒は「(校内の空気は)ほぼ反対だった。9月の文化祭が終わった後に次の学年での文化祭の準備に取りかかるので、クラス替えを前提にしていなかった。(導入案が取り下げられて)ひとまず安心した」と打ち明けた。
正直、国立高校には入りたいけど、文化祭にはそれほど興味がない生徒っていると思うんですよ。
在校生の署名も6割くらいとのことなので、文化祭に対する意識が高い生徒は半々ということになりますよね。
残りの4割がそれほど行事に興味がないとすると、そういう人への配慮が足りないとは思いますね。
言いたいけど言えないんだと思います。
そうでもない生徒にとって、文化祭に全力で取り組むことが義務付けられるのはほんとうにしんどいと思います。
ぼくは当時(勝手に)ちょっと浮いた感じになっちゃったので、現実問題としては何もしないで受け入れるのが良いと思います。笑
実際に行事に注ぎたい人の方が多少ではありますが多いとは思いますし。そうやって生きていくことも悪くはないかなと。
卒業した後に、くっそ無駄な時間過ごしたよな~とか言い合える人が見つかるかもしれませんし。(今のところ見つかってないw)
クラス替えをしたくない側の意見は強者の意見
高校生活がそこそこうまくいっていて、そのノリで文化祭に取り組める人もいれば、あまり高校生活がうまくいっていなくて文化祭どころではない生徒もいると思います。部活動と違ってやめることもできませんから余計につらい。逃げ道がふさがれているんですよね。
オプションであるはずなのに、いつからか価値観のど真ん中に位置するように仕向けられちゃうんですよね。
伝統が強すぎると。
ある意味宗教。
「青春でしょ。」みたいな。
ほどほどでいいよって思っている生徒にとってはけっこう苦痛なんですよね。
よく言われることに
「受験でうまくいく生徒はこういう行事にも積極的に参加している」ということがあります。
積極的に文化祭に参加した生徒が分母ではなく、受験でうまくいった生徒が分母なのには注意が必要です。
これは先生がよく言っていた気がします。もしその言葉を聞いたことがあるのなら無視してください。
余裕のある生徒が、文化祭などの行事にも積極的に参加できるのは当たり前です。
そうでない生徒に目を向けないといけないでしょう。そうでないと全体的な満足度は下がると思います。
同校卒業生で作家・書評家の杉江松恋氏が語る。 「正直にいえば、僕自身はクラス替えの導入に賛成なんです。進学校なので陰湿なイジメはなかったけど、やっぱりクラス内にヒエラルキーやカーストはあって。人間関係のギスギスが3年間続くので、息苦しさがありました。
という卒業生の意見もあります。ぼくの場合、このギスギス感って学校行事からくるものでした。
国立高校の1/8しか恩恵受けられないのもデメリット
単純にもったいないんじゃないかなというのがひとつ。
クラス替えがないと、クラスの40人と部活動の人くらいしか交友関係が広がらなかったりする生徒も増えるんじゃないでしょうか?
学年が300人規模なのに、同級生のことは自分のクラスの人と部活動の友人しか知らない学校とかになりかねません。
2,000人くらいいるような私立高校なら話は別ですが、公立高校くらいならいろんな人と交流できる機会を学校側が用意しておくことのほうがメリットが大きいと思います。
3回クラス替えがあれば、1/3くらいは自動的につながることになるので、生徒にとってはめちゃくちゃラクですよね。
国立高校の1/8しか味わいつくせないのはもったいないことだと思います。
卒業生の署名は「当たり」を引いた側の意見
記事によると、クラス替えをするとしたら2024年度の新入生から行うと説明されたそうです。
だから、2023年の在校生からの意見書も受け取ったとしても大して意味はないでしょう。ましてやOBが署名するのもどうなのかなと思ってしまいます。OBが出てくることに対しては、批判的な意見の方が多いと感じています。
次の新入生からクラス替えを行うかどうかは、その時の生徒や先生で話し合って決めるべきだと思います。
実際に1年生が先輩と行事をやってみて、自分たちも同じようにやりたいと思えればそうすればいいし、そうでもなければクラス替えをして出来る範囲で行事を行なっていけばよいと思います。
先輩たちが後輩たちに魅力を伝えることができなければ、伝統として引き継がれないようなシステムにしておくことはできないのでしょうか。
今の1,2年生も、「こんなはずじゃなかった」と入ってから感じている生徒もいるはずですし、クラス替えをしたい在校生が立ち上がってみても面白いと思いますね。そこまでできたら自主性があるといえるんじゃないですかね。
【提案】クラス替えをしなくて済む方法
前提としてクラス替えをしない理由が文化祭などの学校行事にあるとして話を進めています。
「学校行事には参加しないクラス」を作ってあげるのはどうでしょう。学校行事に興味がない人って、それぞれ自分のやりたいことがあるはずなんですよ。そこに力を注ぎたいんです。
自分のやりたいことがある人って、他人に興味があまりなかったりしていじめなんかの心配も低くなりますからね。
国立高校の場合ですと3クラスくらいになるんじゃないですかね。学校行事に興味のない人で構成されるクラスなら、クラス替えをしなくてもそこそこ心地よい環境なのではないかと。
それか、そのクラス替えありの4クラスとクラス替えなしの4クラスとかに分けてもいいかも。まぁ入学時点でどちらかを選択するとなると、また大変ではありますが。。
クラス替えが当たり前の環境で育ってきた
小学校と高校では目的が全然違うと思いますが、小学校では毎年のクラス替えが定着してきています。
クラス替えが当たり前の環境で育ってきた人間が、高校から深くつきあわないといけなくなることも影響しているのかもしれないですね。
その点も考慮される時代になってきているとは思います。
より『多様性』が尊重される社会となり、常にさまざまな相手とうまく折り合いをつける能力が一層求められてきている。学校の中でいかに『多様性』を育む環境を作れるかと考えた時の1つの方法が毎年のクラス替えだった
多様性を尊重すると人間関係は薄くなるのはしょうがないと思います。あまりつっこんだ関係にはなりにくいでしょう。そのぶん、人間関係によるストレスは減らすことができるのだと思います。
おわりに
文化祭のクオリティがとかいいますけど、クオリティを求めるのなら課外活動でやるべきことだと思います。クラスでやるんだとしても、半年で準備できる範囲でいいじゃないですか。半年あれば十分できると思います。
保護者の方も自分の子どもが志望している学校では行事がどんな風に行われるのかは必ずチェックした方が良いと思います。
同じような偏差値なら、校風をちゃんと考慮してアドバイスをしてあげましょう。
どれだけ学校生活が充実するかが重要ですから。うわべの偏差値だけで判断しない方が良いと思います。
まあ、正直クラス替えがあろうがなかろうが、国立高校の魅力はそれほど変わらないと思います。
伝統的に行事を行なってきた全国の学校も、苦痛に感じる生徒にも配慮しようよということになっていくと思います。