昔はそれなりにはあった、高校野球やプロ野球の勝敗に全く興味がなくなってしまった。
今では選手個々人のパフォーマンスを軽くチェックするくらいで、試合なんて長すぎてみていられない。
これも歳を取ったせいかもしれないなぁ。なんて思ったりもしている。
個人の価値を高める部活動
もともと試合が面白いと思ったことはあまりなく、バッティングやピッチングが好きなだけだったのかもしれない。
まあ振り返ってみると、チームの勝敗にあまり興味がなくなったのは大学時代の影響が大きいのだと思う。
大学時代のチームはそれなりに良い成績を収めた。
チームがそれなりの成績を残したのだから、プロや実業団のチームなどでも競技を継続していく人がいると思っていた。
だが、実際には卒業後も競技を続けられた人はたったの1人。
チームとして成績を残しても、こんなものなのかと思ってしまった。
チーム成績が良くても個人能力が劣っていたらダメなんだと当たり前のことを痛感した。
もっと言うと短期的に個人成績がよくてもダメ。
能力の有無や競技への取り組み方が判断材料なのだと感じた。
当時のチームは個人の能力では抜群に目立つような選手はいなかったが、他の選手と比べて明らかに見劣りするわけでもなかったとは思う。
歴代、卒業後も競技を続ける人がほとんどいないチームだったことも影響していると思う。
チームの勝敗に興味がなくなったのは、ほとんどがスカウト活動の結果でしかないと思うようになったからというのもある。
重要なのはチームの勝ちより個人の価値?
チームの勝ちより個人の成績、能力アップを各人が重視していれば主体的に取り組むようになるだろう。そういう環境下なら選手間での暴力事件や体罰などはほとんどなくなるのではないか。
部活動は主体的に取り組むべし。と部活動の目的には掲げられているはずだ。
主体的でない練習に価値はない。
部活動が行き過ぎた勝利至上主義になるのは指導者の名声のためであるとさえ感じる。
不毛な勝利至上主義に陥らないためには、スカウト活動をやめることに尽きる。
どんな選手が集まるか分からなく、限られた時間の中で集まった選手をどれだけ上達させられるかが指導者の腕の見せ所なのは言うまでもないだろう。
それは指導者に対する周囲の評価の仕方を変えることが必要だと思う。
勝てる指導者=良い指導者という時代は終わりにしよう。
周囲の価値観が変わらなければならない
主体的に取り組む
参考になったのが以下の記事。大学生だから主体的に取り組めるのではなく、どのレベルでもできるはずだ。
令和の部活の在り方は?ごく普通のラグビー部が考えた「勝ちの価値」
— darago (@darago777) 2022年4月27日
https://t.co/UVa82kRhx7
「異なるバックグラウンドを持つみんなが主体的にまとまって、一つの目標に挑む。それこそが勝敗を超えた部活の価値であり、社会人になってから必ず生きる経験。人同士の関係は、一方通行じゃダメなんです」
教えられるのを待つのではなく、自ら動いて指導を仰ぐ姿勢があるかないか。個人的には、ここが1番のポイントだと思っている。
自ら質問できる人は伸びるし、できない人は伸び悩むのだと思う。
人に質問しにいけるということは自分で考えているから。
指導者の立場としては、自分の分からないことを質問される可能性もあり、正直難易度は上がるでしょう。
指導者側からこうしろああしろというのは指導者の頭の中にあるものを絞り出していくだけなので、指導者にとってはラク。
それが、自分の予想もしていなかった質問がくるとなると頭をフル活用しなくてはいけなくなります常にインプットを行わなければならない。
その場で答えているうちに混乱してくることもあるだろう。
もしかしたら、指導者側が間違えていることに気付かされることもあるかもしれない。
押し付けるだけの指導から質問に答える指導へ転換するということがポイントだと思う。
当事者が、主体的に取り組めるような組織づくりを目指してほしい。