初めてチョコレートを直接もらったのは、小学校三年生のバレンタインデーだった。
それまで、バレンタインといえば、お店に並んだ可愛らしい包装のチョコレートを眺めるだけの日々。まさか自分が、前から少しだけ意識していた隣の席のユミから、直接チョコレートを貰えるなんて、夢にも思っていなかった。
その日の朝、いつもよりドキドキしながら教室に入ると、ユミが少し赤らみながら、僕の方を向いているのが分かった。小さな、ピンクの包装紙に白いリボンが結ばれた包みを、両手で慎重に差し出してくれた。
心臓がドキドキと音を立てているのが分かった。
「〇〇くん、これ……」
小さな声で、ユミが言った。
包みを受け取ると、彼女は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「あのね、〇〇くん、メロン好きだったよね?」
その言葉に、僕は奇妙な感覚を覚えた。
確かに僕はメロンが好きだけれど、それがこのチョコレートとどう関係するんだろう?
「うん、好きだよ」と、少し戸惑いながら答えた。
ユミは、僕の返事を聞いて、微笑みを少し深めた。
「よかった。気に入ってくれると嬉しいな」
僕は、包みを両手で握りしめた。
彼女が僕のことを覚えていてくれたこと、そして、僕のために選んでくれたという事実が、胸いっぱいに温かい光を灯してくれた。
周りの友達は、すっかりチョコレートを交換し合っていて、僕たちのやり取りを興味津々で見ていた。
僕は早くこのどんな味か試してみたかった。
僕は板チョコを小さな一片に割ると、少しおそるおそる口に運んだ。
ユミも、僕の表情をドキドキしながら見守っている。
最初の数秒は、ほんのりとした、確かにメロンらしい甘さが口の中に広がった気がした。
「やっぱりメロン味だ!」そう思った瞬間だった。
ツンとした、強烈な刺激が鼻を抜けた。
全く違う味が、舌全体を襲ってきた。
甘さの後に、一気に押し寄せる辛味。それは、メロンの風味とは全く正反対の味だった。
「…っ!」
思わず顔をしかめた。何だこれ?メロンじゃないどころか、鼻の奥が咳をしたくなるような、独特の辛さがある。
「〇〇くん、どうしたの?」
ユミが心配そうな顔で聞いてきた。他の友達も、僕の変な顔に気づいて、集まってくる。
「これ……からい!」
絞り出すように言うと、周りの友達は一斉にどっと笑い出した。
「え?何それ?」
「まさか、わさびチョコ?」
その言葉を聞いて、僕はハッとした。
メロン好きという前フリ。
そして、この独特の辛さ。
「もしかして、これはメロン味を装った、わさびチョコレートなのではないか?」
きれいな白いリボンが、今となっては、見事なカモフラージュに見えた。
犯人はすぐに分かった。
クラスの有名ないたずらっ子である、双子のケンとタクが、少し離れた所で、僕の反応を見て、腹を抱えて笑っている。
そして、ユミも、少し申し訳なさそうに、でもやっぱり楽しそうに微笑んでいた。どうやら、彼女も仲間だったらしい。
騙された悔しさで少しがっかりした。
初めて、好きな子からもらったチョコレートが、こんな変化球だったなんて。
でも、ドッキリに巻き込まれてカッコ悪いところをユミに見られたからか、僕は顔をしかめながらも、なぜかもう一口食べようとしていた。
周りの友達だけでなく、ユミ自身も「え、食べるの!?」と驚き、そして大笑いした。
「いや、なんか…一周回ってクセになるかも…?」
僕が涙目でそう言うと、教室はさらに大きな笑いに包まれた。ケンとタクも「マジか!?」と目を丸くしている。
結局、僕が(驚かれながらも!)半分ほど食べたわさびチョコレートは、残りをクラスの怖いもの知らずたちが味見して大騒ぎになった。
その後、先生に少し叱られたケンとタクは、改めて普通のミルクチョコレートを僕にくれた。
ユミも、「ごめんね、でも面白かった!」と言いながら、小さなハート型のチョコレートを追加でくれた。
その時の、ちょっといたずらっぽい笑顔が忘れられない。
初めて好きな子からもらったチョコレートは、甘い思い出とは少し違っていたけれど、
強烈なインパクトと、クラス中を巻き込んだ大騒ぎのおかげで、忘れられない特別な一日になった。
あのピンクの包みを見るたびに、あの時の鼻を抜ける刺激と、クラスメイトたちの爆笑、そして「まさか食べると思わなかった」と笑うユミの顔が鮮やかに蘇る。
あれから何年経っても、わさびチョコレートには出会わないけれど、あの一件以来、ユミとは「変な味仲間」というか、他の子とは少し違う、面白い話ができる友達になれた気がする。
あのとんでもないチョコレートが、意外な縁を結んでくれたのかもしれない。
少しお茶目なユミと、度が過ぎるいたずらっ子のケンとタクには、やっぱり少しだけ感謝している。