野球の名付け親は正岡子規ではない。
まずはじめに断っておきますと、正岡子規の本名がのぼるだったので→のぼーる→野球となったという正岡子規説は間違いです。
えぇ、マジかよ…
とわたしは思いましたね。
正岡子規じゃねえのかよ。高校の文学史に出るレベルだぞ。
この正岡子規説を知ったのはおそらくテレビ番組なはず。
ですからこの20〜30年のうちにどこかのテレビ番組で紹介されていたはずです。わたしはそんな記憶が微かにではありますが残っています。ですので人口の数%は正岡子規説が正しいと思い込んでいるかもしれません。
じゃあ、誰が野球と名づけたのかというと、中馬庚という人物です。「ちゅうまんかのえ」と読んだり「ちゅうまかのえ」と読んだり、何が正しい読み方なのかは分かりません。
昔の方にありがちな感じですね。
ちなみに1970年に中馬庚は野球殿堂入りを果たしています。
彼は、野原でする球遊びという意味から中馬がそのまんま「野球」と翻訳しました。
1894年のことです。
正岡子規が名付け親とされたのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」(1969年発行)に書かれていることからそう広まってしまったらしいです。
犯人は河東碧梧桐(カワヒガシヘキゴトウ)
司馬遼太郎がなぜ正岡子規説を小説に書いたかというと、河東碧梧桐がそう思い込んでいたから。
高校の文学史に出てくる変な名前ランキング常連のアイツですよ。
高校生の時から薄々勘づいていましたが、マジのやべー奴でしたね。
正岡子規が俳句に野球(のぼーる)という雅号を持っていたこともあったし、河東碧梧桐は正岡子規から野球を教わったこともあったそうです。
その影響もあり、正岡子規が野球と命名したと広めてしまったのだと。
野球少年よ。
中馬庚を覚えておこう。テストに出るぞ