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大学にゆく

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ダラゴは激怒した。

ええい、この際言いたいことを書いてしまえ!

 

大学進学

なぜ大学に行くのか。単純にみんなが行くからとか、やりたいことがあるから理由は人それぞれ。それでよい。

ただ自分なりの理由がないと諦めることもできなくなる。ここは諦めるというシナリオも考えておくことが大事だ。

 

浪人してでも入れ!

入りたい大学があるなら浪人生してでも入れ。経済的に無理?そんなことない。根性とやる気がないだけだ。

親から援助されない??他に頼るところはないか?入ってからもローンや奨学金。フルに活用せよ。今ならクラウドファンディングとかもできる。ありとあらゆる手を尽くせ。それでもダメならダラゴに相談だ。有益なアドバイスをすることはきっと出来ない。

経済的なことは言い訳に過ぎないそ。ダサいから言い訳するなそ。

 

なぜ落ちてすぐに諦めるのか?

大学が年齢や性別による差別をしてきたこともあるが、基本的にそういうことがあるのは資格を取得してから研修などをしなくてはならない学部のみだろう。学問はいつ誰が始めても良いのだ。日本の大学は多様性が無さすぎる。(なくても良いのだけれど)

過年度生は退学率が高いから差を設けるという大学もあるらしいが、学ぶところは大学に限らないという学びの本質を彼らは知っているのである。退学しようが勝手である。入り口は公平にしなければならない。

 

能力を見るのは入学歴だけで良い。

高校の内容は中学と比べて格段に抽象度が高くなる。抽象的なことを理解する能力は高校レベルの能力があれば良い。

 

入学すること。それに尽きる

入学すればそれで基礎能力はわかる。近頃、コミュニケーション力が大事だとか言うが、そんなものは所属する組織によって変わる。あまり気にしない方が良い。大体、コミュニケーション力がと言う奴は立場が上のやつばかりである。上の立場でコミュニケーションがどうたらこうたらと言い出したら聞き流しておこう。おまえは立場を利用しているだけだと。

 

大卒の資格は要らない。

就職には大学の卒業が必要となるのもあるようだが、完全に時代遅れだ。能力の有無は大学を卒業することだけでは分からない。どこの大学の入試を受かったのかで基礎力は分かるのだ。高校と違って、大学の教員は適当だ。学ぶべき内容が全く違うのだからしょうがない。高校であれば、全国一律の基準があるからわかりやすい。大学はそれが分からにくい。大卒なら、どこの研究室にいたか、指導教官は誰かで判断すべきである。大学教員はピンキリである。

 

高校の学習内容で抽象的なものの理解力はある程度計れる。中学の内容で十分と言う者もいるが、全くレベルが違う。完全な高卒レベルは今の高度な社会を生き抜くには必要だ。

 

偏差値による学部選択

もし、あなたがやりたいことではなく偏差値で学部を選んだとしたら、負け組である。とっとと退学せねばならぬ。勉強していけば、好きになるかもしれないが、そうは問屋が卸さない。興味がなかったものを好きになるには、莫大なエネルギーが必要なのだ。

嫌い→普通→好き

興味がなかったものは「嫌いよりの普通」である。嫌いを普通にするのに1番労力がかかる。エネルギーを浪費しないような選択をしなければならない。

 

注目してみてほしい。受験学部が全く違う友人を。大学を卒業し、社会人になったあとの人生を。

 

好きなことをやらない社会は滅ぶ。

今は日本は、偏差値だけで学部を選ぶ傾向が根強い。好きこそものの上手なれ。との言葉にもあるように、好きであることは他の人にはない触媒を備えているのだ。1番好きな好きなことは絶対にやろう。2番目に好きなこともやろう。3番目くらいまでのことを仕事にできるとよろしい。

 

...

 

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ダラゴの怒りは収まった。

おわり