思考の整理学

10年くらい前に「思考の整理学」(外山滋比古)を読んだ。その時は大しておもしろいとも思わなかったし、どっかで聞いたことがあるなと感じた内容だった。これはおそらくあまりに有名な本なのでどこかで雑談として聞いたことがあったのだと思う。

 

最近、この本のある章を読んでみた。書くということ。文章を書くとか整理するとかいう話しの箇所だ。

文章を書こうと思って材料集めをするが編集というのは意外と骨が折れるもので敬遠しがちだというのだ。確かにブログを書こうとして情報を集めるがいざ記事にしようとしてもなかなか上手くいかない。そして知識(と下書き)だけが増えていくのだ。文章でアウトプットをするのはなかなか難しい。

 

よく言われていることだが、ブログを書くときは完璧を目指さず7〜8割の出来でもいいから書くこと。これはこの章にも書かれている。書いていくうちに徐々に整理が進むというのだ。

 

これは頭の中の情報が立体的であるのに、文章が平面であるからだということに起因する。これはどういうことかというと、頭の中では映像として情報を捉えることができるが、それを文章にしようとしても、それを同時に表現することはできない。AとBという事象が同時に起きているといても、「Aが起きたと同時にBも起きた」のような表現となってしまう。(Aの上に重ねて書くとBが読めなくなる!!)文字を平面に書くというのはこのような制約が付いてしまうのだ。

だから、AとBのどっちを先に書くかは自由だから編集というのは骨が折れるのである。文を書くということと頭の中の状態が違うのだから、とにかく書いてみるしかないというのがこの章の主張である。

この章に興味を持てたのは自分自身がブログを書いているからという理由が大きい。まさに自分の陥っている状況が30年以上前に語られているのである。やはり読書というのは万人にお勧めしたいものである。

 

文章を8割くらいの出来でも完成としておこう。でも、そのあとすることはある。

 

それは音読だ。

 

読みやすい文章というのは音読をしても読みやすい。平家物語がこれだけ語り継がれるのは琵琶法師によって語り継がれてきたからだ。一人の人物が仕上げたものではなく多数の語り手によって磨かれたものだからこその仕上がりなのである。

ブログも投稿の予約をしたら、それまでに一度時間をおいて音読をしてみよう。だいたい違和感のある部分が見つかるからだ。

 

おーり。